昭和20年8月、大東亜(太平洋)戦争に敗れた我が国に連合軍が進駐し、日本を弱体化するための占領政策を進め、ソ連代表は記念艦「三笠」を解体するよう強硬に要求しました。
米海軍司令部はソ連の解体要求と日本側の保存要請を考慮し、妥協策として「三笠」の艦橋、大砲、煙突、マストなど上甲板構造物を撤去することを条件として、横須賀市に「三笠」の保存・使用を許可しました。
ところが、横須賀市から「三笠」及び周辺地の使用を委託された民間企業は、上甲板構造物を撤去した跡に、水族館、ダンスホールなどを設け、「三笠」を遊興施設に変えただけでなく、「三笠」の近くに保管されていた大砲、マストなどを売却してしまったのであります。 戦後の心の荒廃を示すものでした。
遊興施設は一時賑わいを見せたものの次第に客足が遠のき、「三笠」は手入れされることなく放置され、錆まみれの哀れな鉄屑同然になってしまいました。