軍事技術の急速な進歩に伴い新鋭戦艦の建造競争が激化したため、大正11(1922)年にワシントン海軍軍縮条約が締結され日・米・英・仏・伊の主力艦保有数を制限することになりました。
ワシントン海軍軍縮条約に調印した我が国は、艦齢の古い「三笠」も軍艦籍から除き廃棄することを決定しました。しかし日露戦争の勝利に貢献した戦艦「三笠」は国の独立を守った誇りの象徴として永久に残すべきとの声が内外で高まったため条約調印各国の同意を得た上で閣議において記念艦として保存することが決定されました。
「三笠」は関東大震災の影響で艦底に破孔が生じ浸水したため横須賀港外で擱座していましたが、大正14(1925)年10月に満潮を利用して曳船により岩場を掘削した現在の場所に引き入れられ艦首を皇居に向けて固定されました。
そして大正15(1926)年11月12日に摂政宮殿下(後の昭和天皇)御臨席の下、盛大な保存記念式典が挙行されました。
*写真は記念艦として「三笠」が保存されていた時のもので艦尾付近に取り外された主砲塔が設置されています。