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そのころの日本

くらし

明治22(1889)年には東海道線が全線開通したのをはじめ、民間鉄道の建設も盛んになりました。また、道路も整備され、それまでの街道筋にとってかわり、駅の周辺が発展しました。そして、華美な生活風俗や商業・労働を求めて、都市に移住して働く人が多くなりました。生活水準も向上し、都市ではショーウィンドウが並び、民家でもガラス障子が見られるようになりました。

現代との物価比較

明治20年~25年 現代
カレーライス 5銭(せん)~7銭 約1,000円
コーヒー:1杯 1銭5厘 約300円
JR普通運賃(大阪-東京) 3円56銭 8,750円
新聞購読料(朝刊のみ) 28銭 約3,000円

※「銭」は100分の1円、厘は10分の1銭

  • 明治4年(1871)お金の単位に「円」が初めて採用されました。
  • 初代の内閣総理大臣を務めた(明治18~21)伊藤博文(いとうひろぶみ)の月俸は800円でした。現在の総理大臣の給料は月額240万円です。

 

食生活

明治時代には、洋風の食材と日本の食材を取り合わせた独自の食べ物(アンパンなど)がつくられるようになりました。アイスクリームや牛肉も食べられるようになりました。

 

肉じゃが

イギリスに長い間留学していた東郷平八郎(とうごうへいはちろう)はビーフシチューのおいしさがが忘れられず、艦上食に適していると考え、料理長に同じものを作るように命じました。食べたことのない料理長はビーフシチューの食材に醤油と砂糖で味を付けましたが、これが「肉じゃが」の始まりだと言われています。当時は「甘煮」と呼ばれ、海軍で大いにもてはやされました。

 

 

カレーライス

カレーライスを家庭でも食べるようになったのは日露戦争後と言われています。海軍の主食は白米でしたが副菜が貧弱であったため脚気になるものが多く、その対策として肉と野菜が入っており、栄養面でもバランスがとれているカレーライスが取り入れられました。 現在でも海上自衛隊では、毎週金曜日の昼食にカレーライスを食べています。横須賀の海軍カレーはおいしいと評判です。

 

 

洋菓子

16世紀にはじめて洋菓子が我が国に渡来しましたが、そのころは南蛮菓子とよんでいたようです。明治時代になって和菓子と区別するために洋菓子とよばれるようになりました。そしてキャンディー、チョコレート、ビスケット、スポンジケーキ、クッキーなどが輸入されました。日本で始めて製造された洋菓子はビスケットです。

 

 

あれこれ

服装

明治時代に入ると、軍や警察、郵便配達員には西洋式の制服が採用されました。しかし、庶民の間ではまだ着物の人が多く、正式な場でも男性は羽織と袴を着て西洋風の帽子をかぶり、また一部女性は着物を着ていながら足元だけはブーツというようにちぐはぐでした。

 

 

郵便ポスト

明治4年に郵便制度ができ、ポストが置かれるようになりましたが、日本で最初のポストはイギリスをまねて作られた黒いポストでした。しかし、黒だと夜見えにくいため、明治21年に赤く塗り変えられたということです。

 

 

クリスマスプレゼント

日本で一般市民にクリスマスの習慣が伝わったのは、明治時代の後半でした。プレゼントの1番人気は、歯磨き粉でした。